大日如来坐像の足利還幸の取り組み

運慶作・大日如来坐像の再発見

はじめて運慶作・大日如来坐像が世間を騒がせたのは昭和63年(1988年)3月の読売新聞に「光得寺(足利)大日如来像は、運慶の作だった」との見出が掲載された時でした。再発見の鑑定をされたのは運慶仏研究の第一人者である山本勉先生で、先生に光得寺像の存在を伝えられたのは地元の大澤慶子先生でした。光得寺所蔵の大日如来坐像であることから光得寺像と呼ばれます。

その後、平成二十年(2008年)3月18日、ニューヨークのクリスティーズのオークションで運慶作と見られる大日如来坐像が1430万米ドルで落札されたニュースが衝撃を以て日本を駆け巡ります。一時、海外流出かと心配されましたが、幸いにも落札したのは日本の宗教法人である真如苑でした。そこからこの大日如来坐像は真如苑像(真如苑所蔵大日如来坐像)と呼ばれています。

この2体の運慶作とみられる大日如来坐像は、共に樺崎寺由来の御仏像と見られており真如苑像がその大きさから樺崎寺(法界寺)下御堂に安置されていたご本尊で在ると考えられます。廃仏毀釈の際に行方不明となったと考えられています。一方光得寺像は真如苑像と容貌が類似する事から同時期に彫像された樺崎寺・足利義兼由来の御仏像で在る事に間違えは有りませんが、足利義兼が身近に置いて拝んだ御仏像と推測されています。その詳細は古記録からは確認できず、寺伝によれば廃仏毀釈以前には光得寺に所蔵されていたと伝えられています。

現在、光得寺像は東京国立博物館に収蔵されています。それは言うまでも無く、安全、保安、保全の全てにおいて光得寺よりも優れた環境にあるからです。逆に言えば再び光得寺像:伝運慶作・大日如来坐像に再び足利にお戻りいただくためには、そうした環境を整える必要が生じています。

大日如来坐像に御還り頂く為に

光得寺住職として如何なる事情が有ると謂えども、古くから光得寺に伝わる御仏像を東京国立博物館にお願いしお預かり頂いている現状には忸怩たる思いがあります。願わくば先ずは檀家一同の為、そして光得寺の歴史を育んだ菅田、樺崎という北郷地域の為、大日如来坐像には足利にお還り頂きたいと考えています。しかしながら大日如来坐像に足利までお還り頂き多くの皆様にご参拝いただく為には、様々な災害に対する安全配慮、盗難などへの保安対応、さらに大日如来坐像の今の御姿を長く子孫に伝える為の環境保全など課題が山積みの状況です。

これらすべての問題に小職一代で対処するには時間的にも資金的にも困難で有ろうと考えておりますが、開山足利義兼公の素意は、一山、一派、一族だけの繁栄と云う小宇宙の話では無く、さりとて日本や世界などと云う大宇宙の話でも無く、恐らく生まれ故郷、菅田、樺崎など北郷の村々、足利とよばれたこの地域の身近な人達の幾久しい安寧を願ったことと考えており、その義兼公の素意に少しでもお応えする為一日も早く大日如来坐像には足利にお還り頂く事こそ光得寺住職の宿願と考え精進しております。